卒業生インタビュー

インタビュー:卒業生の活躍

母校で漫画倶楽部を結成、小池一夫劇画村塾で研鑽を積み、プロの漫画家へ

風狸けん〈本名:濱田芳郎〉 氏(47回/漫画家)
略歴 1957年、神戸市生まれ。滝川高等学校卒業。1981年、本学経済学部卒業。在学中、「漫画倶楽部 飛行舎」に所属。卒業後、電気設備会社へ就職。「小池一夫劇画村塾神戸教室」第1期生。1987年、雑誌「吉祥花人(ラクシュミー)」(白泉社)でデビュー。同時期「コミックHAL」(スタジオ・シップ)に作品掲載。単行本「和算に恋した少女」(小学館)、「江戸釣百景 ぶらり百竿」(小学館)、「尾崎豊ヒストリー 卒業まで」(メディアックス)など多数。ほか、企業向け漫画も執筆。ペンネーム「風狸けん」は妖怪の名から。

風狸さんは「江戸釣百景 ぶらり百竿(ひゃっかん)」(ビッグコミックス/小学館)をはじめ、数々の青年コミックを手掛けるプロの漫画家。また、早くから漫画制作にデジタルソフトを利用したパイオニア的存在でもあります。そして、今号より3年間、本誌「澱江」の表紙の漫画を担当していただきます。風狸さんに、ご経歴や学生時代の思い出などを伺い、その素顔に迫ります。
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漫画や小説に囲まれた少年時代

海と山に挟まれた神戸・須磨に生まれ、釣りや昆虫採集が好きな少年として育たれました。「祖父が古書店を営んでいたので、赤塚不二夫先生や横山光輝先生の漫画だけでなく小説なども読み放題の環境でした」。小さい頃から漫画を描いておられましたが、本学に入学してから仲間と一緒に本格的に取り組むようになったそうです。

絵の道をあきらめず、大学では広告研究会へ

入学後、最初は広告研究会にはいられ、そこで漫画好きの先輩山口安彦さん(44回、現・名央産業会長、左ページ参照)と出会われます。また、後に漫画家・イラストレーターとなる山田章博さんと「漫画倶楽部 飛行舎」を結成し共に活動。「山田さんは、ずば抜けて絵がうまく、後期試験の真っただ中に『漫画同人誌を作るぞ!』と言い出す突拍子もないところもありました」。漫画同人誌の第1号は大学自治会から輪転機を借りて印刷、第2~3号はオフセット印刷して今のコミックマーケットの前身である即売会に出展。ご本人いわく「漫画、命!」の大学生活でした。
本学に入学された理由をお聞きすると「芸大に行きたかったのですが、親に『絵でメシが食えるか』と将来の心配をされて・・・。卒業後は電気設備会社へ就職し、約3年間営業職を務めました。神戸支店で勤務していたとき『小池一夫劇画村塾神戸教室、開設』の告知を知り入塾。漫画原作のオーソリティが東京でプロ養成機関を主催、その神戸校の第1期生となりました。会社・自宅からも比較的近く、営業の仕事を続けながら1年間、通いました」。

恩師からの誘いを受け、漫画家の道へ邁進

その後、小池先生から「東京に出てこないか」と誘いを受け、上京して氏が主宰する「スタジオ・シップ」の契約社員になられます。小池先生が原作を書き、複数の漫画家が作画をするプロダクションでアシスタントとしてスタート。ここで絵コンテ・コマ割り・ペン入れといった制作工程など漫画家としての基礎を習得されました。
30歳の頃、漫画家としてデビュー。漫画の実力に加え気さくな人柄から人脈が広がり、原作者とタッグを組むなどして多方面で活躍されます。冒頭で触れた「江戸釣百景…」は釣りの達人・百竿が多様な人々に指南をする物語。また「和算に恋した少女」は江戸の少女・律が、日本独自の数学「和算」を使って難事件を解決する作品です。
漫画デジタル化の黎明期、画像処理ソフト「フォトショップ」を自らカスタマイズして漫画制作に使用。「いきなり実践です。練習とか言ってると、いつまでも始められませんから」と意欲的に取り組み、手描き・デジタル共に扱えるため、アナログを知らない若者世代にペンやインクでの制作方法を教えた経験もあるそうです。また、小池先生が教授を務めていた大阪芸術大学で、漫画研究をテーマに特別講義をした経験も。このとき、同大学准教授の林日出夫さん(49回・澱江57号P40参照)と出会い、交流が始まりました。
「オフセット同人誌にせよ、デジタル漫画にせよ、初期に開拓するのは楽しい」と・・・。在学生へ「とにかく挑戦してください。一歩進んだところから新たな展開が開けます。まず行動してから考えればいい」とのアドバイスをいただきました。(聞き手=広報部部長・田中伸治)

 

こちらは 同窓会誌「澱江59号」掲載の記事です

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