卒業生インタビュー

インタビュー:卒業生の活躍

「自分の中の内なる声」を大切にし、新しいビジネスモデルを構築する

山口 安彦 氏(44回/名央産業株式会社会長)
1955年徳島県神山町生まれ。徳島市立徳島高等学校卒業。1978年3月、本学経済学部卒業。岡本ゼミにて「多国籍企業論」を学ぶ。印刷会社、デザイン会社勤務の後、名央産業株式会社に入社、現在代表取締役会長。

本日は、名央産業株式会社、山口安彦会長のインタビューを吹田市にある大阪店で行いました。
名央産業さんと聞いてもどんな会社か想像できませんが、店舗名の「無限堂」さんならご存じの方が多いと思います。新聞、テレビ等でよく紹介される厨房機器やオフィス家具、機械工具のリサイクルショップです。本社は名古屋市で、愛知、大阪、東京に4店舗を展開されています。

絵を描くことが好きだった少年時代、本学では広告研究会で活躍

昭和30年、徳島県神山町のお生まれです。「地元には中学までしか無く、高校は徳島市に下宿して通いました」。子供の頃から絵を描くのが大好きな少年だったそうです。
本学では広告研究会に所属され、部長も務められました。「私が4回生の時、下級生の濱田君(注1)と西村君が漫画倶楽部を立ち上げたいと言ってきましたので応援しました。そこに外部から山田君(注2)が加わりました」。山口さんがおられなかったら、濱田さん、山田さんという二人の漫画家さんは生まれていなかったかもしれません。
卒業後は地元徳島の印刷会社に就職されましたが、本学の同級生で婚約者(現在の奥様)の薦めで彼女の住む名古屋のデザイン会社に転職されました。

人生を変える内なる声を信じ、方針転換

「ところが、大好きな絵に関連したデザインの仕事を続けて年を取った自分の姿がどうしても想像できなくなってきました。私は『自分の中の内なる声』を聞くことを大切にしていますが、そんな時に会社が倒産しました」。同業他社からの誘いもあったそうですが、内なる声に従い奥様のご実家の会社に入られました。その会社は当時、大量に生産され全国に販売されていた名古屋佛檀の出荷用木枠を作る会社でした。
「その頃、東京でリサイクルショップという新しいタイプの店ができだしたと聞き、興味を持ちました」。また、各地に「リサイクル運動市民の会」が立ち上がり、不要品交換の為の冊子を発行されていたそうです。「私も参加して活動していましたが、これを事業化するにはやはりリサイクルショップが必要だと考えました」。
1982年に会社の新部門として愛知県小牧市に46坪のリサイクルショップ「無限堂」を開店されました。「愛知県では初めての店でしたのでマスコミが殺到しましたが、正直なところ答える私の方も素人同然でした。思い起こすと冷や汗ものです」と笑われました。
3年間位の試行錯誤の末に、やっと軌道に乗せることができたそうです。

リサイクルショップブームを受け、より強みを見い出す

「しかし、1990年代に入るとリサイクルショップブームが起こり、回りにライバル店が林立しだしました。それらの店は家電製品などの家庭用品専門でした。そこで、2000年頃から我が社はオフィス家具、厨房機器、機械工具に特化していきました」。
山口さんのピンチをチャンスに変える柔軟な発想力が、今日の成功の源だと思います。その後、2002年に吹田市に大阪店、2012年に東京町田店、2018年に東京足立店をオープンされました。「初期の頃はタウンページへの広告、1998年には他社に先駆けてHPを立ち上げました。息子が得意だったため、早くにネット環境を整えられたのも勝因でした」。
広研で広告の大切さを学んだことが生きたと言い切られました。

実は、濱田さんへのインタビュー時に山口さんを紹介していただきました。濱田さんは「先輩は、学生時代から電気器具の修理をしたり、ガラクタを集めて家具を作ったりするのが得意でした」と言われたと伝えますと「その辺りが『無限堂』の原点かもしれません」とのお答えでした。

在学生のみなさんへ

最後に在学生へのアドバイスをお願いしました。「人生には必ずターニングポイントがやってきます。先ほども申しましたが、その時に『自分の中の内なる声』を大切にしてください。他人のアドバイスの声は、ほとんどが『現状維持』です」。
(取材=広報部部長・田中伸治、広報部・河内龍澈)

注1 漫画家 ペンネーム「風狸けん」本号より表紙担当(右ページ参照)
注2 漫画家 山田章博氏 在学中に「ぱだんぱだん」でデビュー、小説「十二国記」絵師

 

こちらは 同窓会誌「澱江59号」掲載の記事です

「澱江59号」はこちから御覧ください 
2024年度
2023年度
2022年度
2021年度