卒業生インタビュー

インタビュー:卒業生の活躍

家業の経営経験と 本学での学びを町政に生かす

藤原 敏司 氏(大阪府泉南郡熊取町・町長・41回)
1952年、大阪府泉南郡熊取町生まれ。大阪府立和泉高等学校卒業。1975年3月、本学経済学部卒業。同年、家業の藤原商店入社。2003年4月、熊取町議会議員(~2010年12月)。
2011年4月、大阪府議会議員(~2015年4月)。2014年5月、大阪府監査委員(~2015年5月)。2016年1月 熊取町長(1期目)。2020年1月 熊取町長(2期目)。

大阪府南西部の泉州エリアに位置する、泉州タオルで有名な熊取町の藤原敏司町長を町役場に訪ねました。

町の名産品を見つけ、育てる

「小学校6年生の時に父がタオル製造業を開業しました。頑張っている親の姿を見て中学・高校とクラブ活動もせずに、家業の手伝いをしていました。大学に入学後も3ヶ月ほど高島屋さんのビヤホールでアルバイトをしましたが、それ以外の4年間はやはり家業の手伝いに明け暮れました」。もう少し学生らしく遊べば良かったかなと笑われました。
「最近有名になってきた水なすは、熊取町で命名されたと言われています。浅漬けにすることで商品価値を上げる工夫をしています。若手の栽培農家も増えてきました」。
もう一つ有名なのがブルーベリーです。「町内の家庭菜園グループが、土曜日に役場の駐車場で軽トラ市を始められました。その中に、定年後ブルーベリー栽培を続けている方がおられました。この方に指導してもらえれば、ブルーベリーを町の特産物として育てていただけるのではと考え、まず用地を考えました。その候補地として浮かんだのが、NPO法人グリーンパーク本部前にあり、彼らが一部を借りて農作物を作っている水田でした。会員数が70名程度で多彩な人たちが集まっているグリーンパークさんに栽培と管理をお願いしようと思いました」。
そこで、町長自らが地主さんと交渉されたそうです。今では大きなブルーベリー畑になっています。「毎年、子供達に無料収穫体験をしてもらっています」。熊取町は大きな産業の少ない地域なので、昔から子供を大切にし、子供に投資する土壌があったそうです。その背景から、子供達のための予算を今まで以上に手厚くされてきたようです。
熊取町の特産品を「くまとりやもん」に認定してPRする事業も始められました。「会社経営の経験と母校で学んだ学問が大いに役立っています」。

町長への道のり、続投へ

ここで気になるのが、藤原町長と政治の接点です。「1年下の後輩が町議会議員になり、彼の話から古い考えの方にこの町を託して良いのだろうかと思うようになりました。尊敬する先輩からも強く勧められて立候補を決断しました」。友人達からは「常に後ろから前の人を冷静に見ていた、無口で控えめなあなたが本当に出るの」と驚かれたそうです。「2期務めて引退する予定でしたが、橋下徹さんが改革を掲げて政党を立ち上げられ、この地域でも応援する府議会議員が必要だとなり私が立候補することになりました。1期務めた後に、この町にも新しい風を起こすための改革が必要だとの思いで町長選挙に挑戦して当選しました」。

学生の皆さんへ

最後に在学生への一言をお願いしました。「皆さんにはサントリーの創業者鳥井信治郎さんの『やってみなはれ』の言葉を贈りたいと思います。何かをやる時に、失敗するか成功するかなどと考えずに、とにかく動いてください」。改革に邁進されている藤原町長の口から発せられると、より力強く心に響きます。
インタビューの後に熊取町の事を調べていましたら、本学との不思議なご縁を二つ発見しました。一つは町名の由来です。諸説がある中に、朝廷と敵対する羽白熊鷲を神功皇后がこの地で討ち取ったことに因むとの説がありました。黒正巖先生の生誕地、布施神社のご祭神のお一人である神功皇后が町名成立に関わっておられる可能性がある訳です。もう一つ、教育の町・熊取町には大学が三校もあり、その中の一校である大阪体育大学と本学にも不思議なつながりがあります。何と、大阪体育大学と本学は同じ学園をルーツとする姉妹校だったのです。そして、大阪体育大学は神功皇后に関わりがあり得る熊取町に、本学はそのご子息である応神天皇の宮跡の可能性が高い地に建っています。偶然とは思えないほどの大きなご縁を感じてしまいました。
(聞き手=事務局長・角庵勝巳、広報部部長・田中伸治)

 

こちらは 同窓会誌「澱江58号」掲載の記事です

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